慶應学生インタビュー第2部②「1万円札は本当に1万円なのか」——フェアバリューという考え方

隅田貫 日独産業協会東京事務所代表
橋野哲
聞き手 慶応義塾大学 橋野哲(ライフデザインラボ ラボ長)

次に出てきたのが、フェアバリューの話でした。

「僕にとって高いの反対語は『低い』です。つまり何が言いたいかというと、フェアバリューを常に考えるということ」
隅田さんは、小学生や中学生に金融を教える時、こんな質問をするそうです。
「1万円札って、いくらですか?」
「普通みんな『1万円!』と答える。」
「正解は約20円です」
「原価的な価値では、あの紙には20円の価値しかありません。20円のコストをかけてあの1万円札を刷っています。末端価格500倍。麻薬取引みたいですね(笑)「皆さん、日銀を信じてるんです。通貨の価値は誰が決めてますか?」

そして話は、お金から人生へ移ります。
「日本国民が決めてる。皆さんが決めてるんです。だって9,980円を信じなかったら、皆さん1万円持たないでしょ? もしこれが5,000円ぐらいの価値しかないと思ったら、円を売るんじゃないですか? ドルを買いますか? ユーロを買いますか?」
「でも皆さん、ちゃんと使ってますよね」
「人生と一緒です。自分の人生、自分で決めてるんですよ。他人じゃない。だからこそ自分で考えないといけない」

この話を聞いていると、フェアバリューは金融だけの概念ではないように思えてきます。会社名、年収、肩書き、学歴、市場価値。社会はいろいろなものに「値札」をつけます。でも、社会的に高く評価されているものが、自分にとっても同じだけ価値があるとは限らない。冒頭の「他人の物差しで人生を測らない」という話が、ここで金融の考え方とつながります。

500億円の顧客より、「1円の信用」

隅田さんが10年間働いたのは、ドイツのプライベートバンクでした。そこで最も厳しく扱われていたものの一つが、信用だったそうです。

「プライベートバンクが一番気にしてるのは、これです。500億円ボーンと積まれて『さあ俺を客にしろ』って言われても、絶対に客にしません」
「本当にその500億円の1円でも、マネーロンダリングで入ってきたら、それで僕たちの会社は終わりです。本当に終わっちゃう。信用というのは、その1円で崩れるんです」
「350年築いたものが、その1円の一瞬で崩れる怖さをみんなわかってるから、客も選ぶし、訳のわからないお金は入れられないんです」

500億円のビジネス機会よりも、350年かけて積み上げた信用を守る。短期的な売上だけを見れば、顧客を断ることは非合理に見えるかもしれません。
でも350年という時間軸で考えれば、1回の判断が会社そのものを終わらせる可能性がある。何を最大化するかによって、合理性の意味は変わります。

プライベートバンクは何が違うのか

隅田さんは、日本の大手銀行とプライベートバンクの違いについても説明しました。

「プライベートバンクはバランスシートで勝負できない。日本の銀行などは、バランスシートが何兆円、何十兆円とでかいでしょう? たくさんお金を預金として集めて、運用し、貸し出す。バランスが太ければ太るほどいいわけです」
「プライベートバンクは違う。自己資本だけです。他人からお金を借りませんし、預かりません。自分のバランスシートは小さい。手数料で稼ぎます」

顧客の資産についても、隅田さんは次のように説明しました。
「お客様の資産は預かりますけど、別のアカウントで倒産隔離ができている。自分が倒産してもお客様の資産には影響ないっていうアカウントで運用します」

また、歴史的には無限責任の考え方が信用の背景にあったとも話します。
「プライベートバンクが一番違うのは、無限責任の歴史なんです。今はかなり変わってきていますが、昔は原則無限責任。「だから信用は厚いんです。ドイツもスイスもそうですけど、『プライベートバンカー』って言った瞬間に信頼される。体を張ってリスクを背負ってお客さんと対峙してるわけですから」

ここでも、リスクと信用は裏表です。信用とは、単に「信頼してください」と言うことで得られるものではなく、自分自身がリスクを背負ってきた歴史から生まれるものなのだという話でした。

顧客のために「何でもやる」ことが正しいとは限らない

富裕層向けサービスというと、プライベートジェットの手配や特別なチケット、子どもの学校の紹介など、顧客の要望に何でも応えるようなイメージもあります。しかし、隅田さんが働いていた会社は、そうした「バトラービジネス」をしなかったそうです。

「うちの会社は、いわゆるバトラービジネスは一切しません。バトラービジネスって、お金の運用じゃないんです。プライベートジェットに乗せますよとか、買えないチケットを買えますよとか、お子さんをこの学校に入れてあげますよとか」
「うちはあくまで資産運用だけ。なぜかというと、バトラービジネスをやった瞬間に軸がブレるからです。でも相談には乗ります」

顧客が望むことを何でもやることと、顧客のためになることは同じではない。自分たちが何者なのかを決め、そこから外れることはやらない。
この姿勢は、個人のキャリアにも似ています。何でもできる人になることより、「自分は何者か」を決めることの方が難しいのかもしれません。

第2部その3に続く

プロフィール 隅田 貫(すみた かん)

・1982年 東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社
・2005年ドイツ老舗金融機関「メッツラー・グループ」本社に入社
・同社唯一の日本人として、日系機関投資家向け投資顧問業務を担当 現在メッツラー・ジャパン・ホールディングス アドバイザー
・日独ビジネスの架け橋として2015年にカンマネジメントオフィス株式会社を設立。 
・2025年10月より日独産業協会 駐日代表にも就任
・ドイツでの職場体験を参考に働き方の専門家として生産性と意欲が高まる働き方も提唱、多数の講演実績を重ねている。

https://kan-management.com/

橋野哲

プロフィール 聞き手 橋野 哲(はしの てつ)

みんなの金融教育協会 ライフデザインラボ ラボ⻑
所属:慶應義塾大学

大学では政治学と倫理学を学んでいます。倫理学を通じて「人にとってより善い生」を問い、その知見を基に政治学の知識を活用し「その生を実現できる社会設計」を考えています。金融教育は、私たち若者に「どう生きるか」という倫理的な疑問や、金融の在り方を再考する政治的な課題を提起する重要な役割を果たすと感じます。確かにこれらの問いはすぐに答えを出せるものではないですが、真摯に考え抜くことこそが若者の責務ではないだろうかと私は考えています。当事業の取り組みで1人でも多くの私と同じ大学生の人生に良い影響があるように取り組んで参ります。

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